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親の最期を看取る以上に大切な仕事なんて本当にあるの?

【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第二十回

■立ち止まるチャンスをもらった

 以前頑固だった父親が認知症に。に書いたように、ぼくは長い間、親と疎遠で親不孝な息子だった。親孝行を気取るつもりも資格もない。だからなおさら、会社を辞めてまで親の介護を選んだ人たちへの尊敬がある。

 自分は両親の世話をするために東京の住居を引き払って実家に帰り、仕事量も5分の1から10分の1くらいに減らし、時期によってはほぼ無職状態で40代後半から50代前半の6年間を過ごしたが、これっぽっちも後悔していない。介護を悲惨なものとしか思っていない人には、親が子供みたいな笑顔を見せてくれたときの充足感を伝えるのが難しい。

「介護離職したら人生が詰んでしまう」という人もいるが、むしろ、あらたに一度立ち止まり、人生と仕事を振り返るチャンスを与えてもらったことに感謝している。

 ルーティンワークのような日常に区切りをつけ、親と向き合うことは、これまでの生き方やキャリアを見つめ直すきっかけになる。本当にやりたかった仕事や、本当に大切な人、残りの人生でやるべきことのリストが見えてきたりもする。介護を終えたら、そっちの道へ踏み出せばいい。

 もちろん、そこで社会復帰が簡単ではないこと、新しい道へ踏み出すのがメンタル的にも困難なのは身を持って理解している。

 ぼくの場合、支えになったのは母の言葉だった。

「あんた、わたしの面倒ばっかり見てたら、ちっとも仕事できないろうに」

 介護生活中、ずっと母が気にしていたのは、ぼくの仕事のことだった。

「わたしが死んだら、ちゃんと自分の仕事をしてちょうだいね」

 文字にするのもせつないが、おかあちゃんは死期が近づくとそんなふうに口にして、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 唯一の遺言だったと思う。

 そんな言葉を残されたら、もう一度仕事を再開しないわけにはいかないではないか。人生の再起動が精神的にしんどくても、休んでいるわけにはいかないではないか。

 親戚の中には、やっと田舎の生活に慣れたんだからこっちで暮せばいいと言う人もいた。でも、なるべく早く、母と過ごした実家を離れないと、もう二度と社会復帰できない気がして、すぐに東京へ戻ることを決めた。抜け殻から脱するにはそれしかない。

 先の見えない暗闇で立ち上がる力を与えてくれるのは、そんな介護生活の大切な思い出だ。

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夕暮 二郎

ゆうぐれ じろう

昭和37年生まれ。花火で有名な新潟県長岡市に育つ。フリーの編集者兼ライターとして活動し、両親の病気を受けて帰郷。6年間の介護生活を経験する。



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